第2回アメリカのNPO型高齢者介護研修(現地参加型)
〜 サンフランシスコの「PACEプログラム」から学ぶ〜
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シルバー新報6/17
掲載記事
「シリーズ PACE」
第2回
NPOが生み、発展させたPACEプログラム
大阪市立大学大学院
教授 柏木宏
NPO。
このアルファベットの三文字は、日本にもすっかり馴染んだ感じがする。
とはいえ、「NPOの先進国アメリカ」では、税制優遇措置をもつNPOだけでも、百万を超えている。法人格をもつ組織が二万を超えた日本とは、まだまだ彼我の差がある。数だけではない。活動内容にも差が大きいと思われる。
NPOの特徴のひとつは、社会のさまざまな問題に対して、具体的かつ新たな対応策として示すだけでなく、事業として自ら実施していくことだ。そして、アメリカでは、NPOが始めた事業が国の政策として広がっていくことも珍しくない。
障害者が施設ではなく、地域で生活していくという、自立生活運動は、カリフォルニア州バークレーの自立生活センターがパイオニアである。クリントン政権下で、若者を中心とした始まった有償ボランティア制度のアメリコアは、ボストンのシティ・イヤーをモデルにしている。
高齢者に医療や介護面で包括的なケアを提供し、地域や自宅で可能な限り生活をしていくことを促す独創的なプログラム、PACE。これもNPOが一九七〇年代から徐々に取り組んできた活動が結実したものなのである。
中華街のNPOの産物
サンフランシスコ・チャイナタウン。
一九六〇年代に移民法が改正された影響もあり、アジア以外で最大の規模をもつこの中華街には、一九七〇年までに、海外から多くの中国系の高齢者が移住してきた。間もなく、彼らの多くは、長期介護が必要になった。
増大する中国系高齢者の長期介護のニーズに、どのように対応すべきなのか。この課題に立ち向かうために、地元の人々は一九七一年、NPOを設立。ナーシング・ホーム(特別養護施設)の建設を視野に入れ、調査を実施した。
調査の結果、ナーシング・ホームは、財政的に運営が困難であるだけでなく、文化的にも中国系の高齢者に適していないことが明らかになった。代わって、モデルとして考えられたのは、イギリスをはじめとしたヨーロッパ各地でしばしばみられる、住宅と医療介護が一体化したデイ・ホスピタルだった。
調査に関わった人々が設立したNPOは、中国系の高齢者に対して、具体的な医療介護サービスの提供をめざした。後に改称してオンロックとなった組織がそれである。広東語で安楽と書くNPOの名称から、高齢者への思いやりの気持ちをみることができる。
一歩一歩進んだ体制作り
NPOを作ったからといって、直ちにPACEプログラムをスタートできたわけではない。新しいコンセプトに基づくプログラムの体制を小さな組織が作るには、それなりの時間が必要だ。また、政府の支援も、徐々に進んだにすぎない。
ナーシング・ホームに入る必要があるような心身の状態の高齢者が、地域で生活する。彼らに最も必要なサービスのひとつは、デイ・ヘルス・サービスだろう。このため、オンロックは、最初の主要な事業として一九七三年、デイ・センターを立ち上げた。
デイ・ヘルス・サービスは、医療行為をともなう。事業が始まった翌年、オンロックは、政府による低所得者向けの医療補助であるメディケイドの受給資格をもつ高齢者がデイ・センターを利用した場合、政府から費用の還付を受けることができるようになった。
一九七五年、オンロックは、医療行為をともなわないアクティビティなどを中心にした、ソーシャル・デイ・ケアを開始。また、在宅の高齢者向けの事業として、在宅介護や食事の宅配サービスをスタートさせるとともに、住宅関係の事業も始めた。
オンロックでPACEプログラムの原型がほぼできあがったのは、一九七八年のことだ。この年、医療面でのサービスも拡充され、ナーシング・ホームに入居する必要がある高齢者への対応が可能になった。
連邦レベルのプログラムへ
PACEプログラム特徴を財政面でみると、政府の医療保険のメディケアと医療補助のメディケイドからプログラム参加者ひとり当たり一律の資金を受け取り、参加者の高齢者が必要とする医療介護サービスを包括的に提供する点にある。
連邦政府は一九八三年、このシステムを承認。これにより、オンロックは、財政的な基礎が確保された。さらに、連邦政府は一九八六年、オンロックと同様のプログラムを提供していた全米10ヶ所の施設に対して、資金の一律保障を認めることを決定した。一九九〇年、施設を十五ヶ所に増やすことが認められた。
プログラムの実施には、実施要綱が必要だ。これを提供したのは、オンロックである。
オンロックが作成した実施要綱は、@組織、A参加者の権利、B参加者の資格、Cサービス内容、Dサービスの質の保証、E政府からの資金支払方法、F実施団体の管理運営、G外部機関による監督など、十項目から成り立っている。
一九八六年と九〇年に連邦政府が認めたプログラムは、立証事業という位置づけである。すなわち、プログラムの意義や有効性を立証できるかどうか検討することが目的なのだ。
立証事業から永続的な事業に変わったのは、一九九七年。連邦議会が財政均衡法を制定、メディケアとメディケイドの制度のもとに、州政府が高齢者の長期介護事業に関してPACEを選択肢のひとつにすることを認めたことによる。
オンロックの設立から四半世紀以上が経過している。NPOの息の長い活動の成果が、やっと結実したのである。今日、PACEプログラムは、全米40ヶ所以上で提供されるまでに広がってきた。社会問題に対応するNPOの先駆性を示す、好例といえよう。
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