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ベイエリア通信 3


こどもがいる
爆撃のしたにこどもがいる
「戦争」のさなかにこどもがいる
おなかがすいて凍てついて
ただ逃げまどう
こどもがいる

1945年6月のあの夜
おねえちゃんと手をつないで
焼夷弾の炎の海を
逃げまどったこどもは
わたしのなかでいまも
「戦争!」と聞けばすぐ眼をさまし
身を突きさすような声で泣く
なぜ?なぜまた?
なぜ?なぜ止めないの?


バークレー市議会の決議

 アフガニスタンの空爆開始から10日ほどたった10月16日、バークレー市 議会が、「アフガニスタン市民や、アメリカ兵士の生命を危険にさらす、アフガ ニスタン空爆をすみやかに終決する」ことを求める決議を採択しました。「テロ リストを公正な国際機構の判決にゆだねる」「貧困、食料難、抑圧、従属など、 テロ行為を生む絶望的な原因をつきとめて、克服する。」「石油依存から持続可 能なエネルギー資源への転換をめざす」などの関連決議を含むものです。 人口12万人前後のバークレーの市議会は、市長を含めて9人の議員からな り、そのうち8人が女性で、男性はただひとり。週に一度の公聴議会では、議員 や、議員をとうして市民から提案されるさまざまな議題ごとに、抽選で選ばれた 市民の意見を公聴し、そのあとで討議決定が行われます。60年代以来、アメリ カの進歩的な決議は、すべてバークレーから始まるといわれてきたように、政 治、環境、人権、教育などあらゆる分野で、先駆者の役割を果たしてきました。 2ヶ月前には、タリバン政権下の女性の人権を擁護する声明も出しています。  その日もいつもと同じように、38議題のどれかに関心を示す市民たちで、市 議会ホールはぎっしり埋まり、ことに戦争に関するこの決議案の賛成派と反対派 が、それぞれのプラカードや国旗をかざして、ひしめきあっていました。それ以 前にも、市長が、平和行動の日に、一時的に消防車の国旗を下げるように、と指 示したことや、今回の決議案を提出した議員が、学生新聞に向かって、「アフガ ニスタン市民から見れば、アメリカ政府の行動は、テロリストのそれと同じに見 えるだろう。」と、わたしなんかまったく同感の発言をしたことから、バークレ ーは、すでに全国から注目され、市長には、死の脅迫まで届いていたそうです。

 そんな背景もあって、アメリカ中に国旗が翻る中でのこの決議は、そうたやす いことではなく、投票結果も5対4とすれすれの採決。翌日からは、「さすがバ ークレー、ヤッタ!」「バークレー市民であることを誇りに思う。」という声か ら、「いまだに60年代から抜け切れないアホなバークレー。」ひいては「裏切 り者」「売国奴」呼ばわりまで、ありとあらゆる声が、新聞の投書欄に殺到して います。「この決議で、バークレーの経済が脅かされる」というタイトルで、他 市の建設業者などが、バークレーの資材店からの購入をキャンセルした、という 記事が大きく書かれるなど、バークレーは、まさに戦争の渦中にある、という感 じです。
市議会決議は、国政に対する実質的な影響力はなく、あくまでも地方自治体と しての意思表示です。でもアメリカでただひとつ、地方自治体によって蒔かれた 平和への意思の種が、今後の平和運動に影響を与えていくことは、これまでのい ろいろな例からも明きらかです。ぜひ、グローバル市民で、これを世界中に広げ て行きたいですね。

バーバラ・リー議員ありがとう!
 その後10月21日の日曜日には、国会でただ一人、ブッシュに軍事行動の全 権を与えることに反対した、オークランド、バークレー地区選出のバーバラ・リ ー議員の勇気ある行動に対して、感謝とさらなる支持を表明する集会が開かれま した。ベイエリア通信1に書いた、地元コーリッションのひとつのプロジェクト として企画されたものです。
 オークランド・シティ・ホールの前の広場は、5段ほどのベンチが半円を作 り、円形劇場のようになっています。そこに続々とつめかけた市民は、3500 人(ニューヨーク・タイムス)と報道されました。ステージでは、まずオール・ トライブ・シンガーズというアメリカ先住民グループのドラムと祈りの歌、イー グル・ダンス。そしてオークランドの宗教科学教会のゴスペル合唱団による、す っごくパワーフルなパーフォーマンス。聴衆を巻き込んで、「War is Not the Answer」と歌いつづけました。オークランドはアフリカ系アメリカ人の多いコミ ュニティで、バークレーとはまた少し違うパワーが感じられます。俳優のダニ ー・グローバー、作家のアリス・ウォーカーなどを初め、すばらしいスピーカー たちが、バーバラをたたえ、「ウソで詰まったアメリカ政府の身体をきれいにし なければなりません。」(ウォーカー)と語っているステージに、プログラムに は書かれていなかったバーバラ本人が登場したのです!「わたしが、反対投票を したのは、あなたがた選挙民の気持をよく知っていたからです。ありがとう!」 と彼女がいうと、聴衆は一斉に立ち上がって、「Thank you Barbara! Thank you Barbara!」と終わりなく叫び続け、会場の高揚は極地に達しました。日本か らの留学生のひとりが、「これに参加しなかったら、一生後悔しただろう。」と いったほど、すばらしいエネルギーを、参加者のみんながもらったイベントでし た。
 主催者グループは、バーバラの登場に、最後の最後まで迷いました。じっさい に権力をもつものの意に反すれば、大統領だろうと誰だろうと殺してしまう国で すものね。最終的には、彼女自身の希望と、参加者の圧倒的な数が、安全性を信 じさせました。やはり最終的な力を決定するのは、ひとりひとりの参加なのです ね。スピーカーのひとり、オークランド在住の作家イシュマル・リードが「あの 日の前とあとで、ブッシュは全然変っていないのに、なぜ旗をかかげるのか?」 と問いました。

 ほんとうに、9月11日以前、当選の合法性がふたたび話題になり始め、政策 にさまざまな批判があびせられていたブッシュが、あの日を境に、あっという間 に英雄になり、議会から無条件で全権と450億ドルを託され、それまであまり 見ることも聞くこともなかった国旗と愛国主義が国を覆い、国連の存在など一蹴 にふされ、「戦争は当然」となってしまうこのスピードに、めまいと吐き気を感 じてしてしまうのは、わたしだけでしょうか。
 アメリカ人の友人の一人は、あの事件は、ブッシュにとって、天からの贈り物 だった、といっていました。中東の国を爆撃して一帯のコントロールを強めるこ とで、その大地の下に眠る、3兆ドルに値するという石油の利権をコントロール すると同時に、武器産業の莫大な利益という、一石二鳥だと彼はいいます。ブッ シュ家は三代にわたって、ヒトラーからフセインにまで、あらゆる戦争に武器を 供給し続けた家族だそうです。(Http://www.copvcia.com/#archにその他の情報 がたくさんあります。) また元大統領のブッシュ父さんや、共和党の元大臣や国 会議員のおおものたちが構成する、世界最大の情報非公開の株会社カーライル・ グループは、ビンラディン家ともつながりがあり、その主な投資先は、軍事産業 だそうです。ブッシュ現大統領が、議会から獲得した莫大な軍事費は、そのまま 家族に還るというわけですね。(Http://emperorユs-clothes.com)アメリカ市民 が、アンセラックスの脅威におびえているなかで、忙しく世界を駆け回り、武器 セールスやトマホーク・ミサイルの増産に励む大統領は、なんという親孝行、一 族孝行の息子なんでしょうね。その上に、アフガニスタンのオピウムの利権もか らんでいるとか。
 昨日の新聞によれば、アンセラックス感染メールを安全に開ける箱を開発した と発表した会社の株が大高騰したそうです。また病原菌の形態を模様にしたシル クで、ネクタイや男性用のパンツを作っているファッション会社があって、すで にアンセラックスの模様も作っていたのですが、その売り上げが急上昇。なにか もう、超現実主義というかミステリー映画を地でいくような国です、この国は。 映画なら早く結末を知りたいと思うけれど、それが自国の政治となれば、あまり にもキタナイ真実を知りたくない、すべてをテロリストのせいにしておいた方が ずっと楽だし、その上景気がよくならもってこいじゃなじか、というのが、旗を ふるアメリカ人の大半の心理ではないか、と思います。もちろん、始めて自国の 土を爆撃されたショックはわかるけれど、実際の被害者の家族の多くが、さらな る暴力を願ってはいません。ほんとうに苦しみを味わったものには、他人の苦し みがわかるはずです。
 でも自分の生まれ育った国のことを悪くいわれたくない、というのも、やはり 人間なのでしょうね。アメリカ人と結婚した日本人の友人たちが、いまのような 緊張状態の中では、家庭内日米戦争とまではいかなくても、地域対立がひんぱん に起こると告白しています。わたしのパートナーは、ベトナム戦争のとき徴兵を 拒否して海外に脱出した平和主義者ですが、わたしがあまり過激にアメリカを批 判すれば、やはりカッとして、じゃあ、君はなぜここにいるのだ、といいます。 うーん、たしかにわたしは、30年もアメリカの、というよりも、ベイエリアの 自由の風潮を満喫して、去年市民権を取りました。でもその途端に、あの泥沼の 総選挙、カリフォルニアの電力危機、そして今回の事件と、わが市民権は、踏ん だり蹴ったりのいじめ、というか試練にさらされ、もう泣きたいほどです。でも 星川純さんからお手紙をいただいたアメリカ市民になったからには、もうつかず はなれずではいられない、きっとそのために市民権をとったのだと、観念しまし た。冒頭の詩のように、子どもの時に、いまアフガニスタンの子どもたち、親た ちの気持そのものを体験をしたことが、わたしに全力投球のエネルギーをくれま す。
 ロック歌手のニール・ヤングが、自閉症の子どもたちの学校の、恒例の基金募 集コンサートで、クリアー・チャネルが禁止した「イマジン」やディランの 「Blowing in the Wind」を繰り返し歌ったと聞くとき、わたしとパートナーが 1970年に出合っていらいわかちあってきた、反戦と対抗文化の伝統が、生き て流れているのを感じ、勇気を与えてくれます。

風砂子デアンジェリス


 (通信1で、KPFAラジオ局が、第一次大戦後に創立された、というのは、第二 次大戦のあやまりでした。なにしろ洪水のような情報のなかで、減退記憶を頼り に急いで書くので、事実に誤りがあれば、ご指摘ください。)

風砂子デアンジェリス
(カリフォルニア州バークレー在住)

                                               


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