身体ステレオタイプと言葉の暴力とたたかう女たちの会

 

 まず最初に、会の趣旨をよく理解していただくために、問題提起として一つの例を紹介したいと思います。

 アメリカ在住の50歳の日本人男性Aさんは、身長が180センチ以上あります。Aさんの娘さんも、お父さん似なのでしょう。お父さんと同じように背が高いのです。ある日、Aさんに向かって、ある日本人女性がしたり顔で言いましした、「あなたの娘さん、あんなに背が高ければ、結婚できないね。」と。皆さんに、その時のAさんの父親としての気持ちが想像していただけるでしょうか。

 

 会の趣旨は、この例が内包しているさまざまな問題を明らかにすることで、あらゆる人々がありのままの自分を認め、愛し、自己表現をして生きられる社会をめざして活動することにあります。例が内包する問題を簡単にここに提示しましょう。

 1 身体的特徴をとらえ、相手にぶつける、とりわけ否定的な意味合いをもった言及は、非常に日本人に特徴的であると思われる。なぜでしょうか。

 2 1の問題点を可能にしている社会文化的背景、たとえば、日本語にある、「馬鹿の大足、まぬけの小足」「大男総身に知恵は回りかね、小男の総身に知恵も知れたもの」といった、身体的特徴を捉える表現の是非と、人々の無意識に与える影響を考えよう。

 3 性にもとづくステレオタイプや、差別意識を考えよう。男は強くなければならないというステレオタイプは、大きな男を肯定的に捉えますが、「女らしさ」のステレオタイプは、大きな女を否定的に捉えます。どうして、「大きな女は結婚できない」のでしょうか。

 4 言葉の暴力があらわにする、日本社会のダブルスタンダードも考えよう一般的に言って日本社会は、男が女に「大きな女ですね」とは平然と言わせても、女が男に「小さな男ですね」とは簡単に言わせない力をもってはいませんか。もしそんなことを言って、その女性が独身なら、「そんなことだから、結婚できないんだよ」といった男からの”脅し”が待ちうけていることは想像に難くありません。なぜ男は言えて、女は言えないのか。

 5 「そんなに大きければ結婚できないね」と健常者の女には言えても、たとえば足の不自由なひとに向かって「その足じゃ結婚できないね」と、はっきり言えるだろうか。有言無言で「その”体”じゃ結婚できないね」という言葉を容認する社会で、「心のバリアフリー」の真の意味は何なのか。

 6 身体の悩みを親しい人に打ち明けようとして、そんなことで悩むなんてぜいたくだ、障害者の苦しみを考えてごらんとか、誰でも劣等感や挫折はある、それをばねにせよとか、神経質になりすぎだ、とか、問題を個人のレベルに矮小化されることで、口封じされたことはありませんか。悩みの序列化や、悩む者を責める文化社会風土は決して許されるべきものではありません。口封じされ、悩みを内面化させ苦しんでも、加害者は野放しのままです。悩む者が悪いのではなく、悩ませる社会が悪いのです。そこで育つ人間に必要なのは教育です。

 会は、「人は何も知らずに生まれてくる。人を作っていくのは環境である。」を大前提とするものです。大きな女だと笑われ、いやな思いをしながらも、口封じされてきた女性たちへー数は力です。思いのたけをぶつけ、みんなで問題を考え、社会に提起していきませんか。ご連絡を待っています。

 デイ多佳子(身長176センチ) TAKAKOD@aol.com


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