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米国三菱のセクハラ問題 民事訴訟で和解成立、慰謝料など950万ドル

日本太平洋資料ネットワーク
柏木宏

九五〇万ドル。

邦貨に換算すれば、約一二億円。米国三菱自動車製造(以下、米国三菱)がセクシュアル・ハラスメントの対価として、二七人の 女性に支払うことになった和解金である。米国三菱において、セクシュアル・ハラスメントが問題になったのは、一九九〇年代の初 めのことだ。被害者たちは、この問題を扱う連邦政府機関、雇用平等委員会(EEOC)に訴えた後、民事訴訟に持ち込み、闘いを 継続した。しかし、こうした多額の経済的制裁が米国三菱に対して下されることを、当初、だれが予想しただろうか。

五年間にわたり闘い続けた女性たちの熱意や女性団体をはじめとした日米両国での米国三菱を批判する行動が、「世界の三菱」に 大きな譲歩を強いさせた原動力だったといえよう。しかし、今回の和解の成立は、問題の全面 的な解決を意味するものではない。な んとなれば、三〇〇人近い被害者を認定した、EEOCの訴訟が未解決だからだ。さらに、今後、職場がどのように改善されていく のか不透明な部分も少なくない。

とはいえ、米国三菱のセクシュアル・ハラスメント問題において、この和解が重要なポイントであることはたしかだ。未解決のふ たつの訴訟の解決に向けた動きも活発化するだろうし、米国三菱としてもより一層、職場の改善も進めざるをえまい。そして、なに よりも、三菱という巨大企業が女性たちに補償を行ったという事実は、ハラスメントに苦しみながら働く女性を勇気づけることにな ろう。そこで、この問題のこれまでの経過、和解に至る過程と内容、今後の課題などについて検討してみたい。


問題の発端と米国の反セクハラ制度


三菱自動車工業がアメリカ中部最大の都市のイリノイ州シカゴから車で約三時間の地方都市、ノーマルにクライスラーと合弁で進 出したのは、一九八八年。日米自動車摩擦が深刻化し、現地生産に切り替えるという当時の日本の自動車メーカーがこぞって採用し た措置の一環だ。クライスラーは一九九一年、保有していた五〇%の株式をすべて三菱側に売却。社名がダイヤモンドスターから米 国三菱自動車製造に改められた。職場でのセクシュアル・ハラスメントが問題になったのは、この頃からだ。

セクシュアル・ハラスメントは、一九六四年に制定された公民権法第七編に基づき違法行為とされている。ハラスメントの被害者 は、EEOCに救済を求めることになる。被害者は、EEOCが訴えを却下するか、訴え後一定期間が経ても問題が解決しない場 合、民事訴訟を起こすことができる。また、一九七二年に公民権法が改訂され、EEOCは、被害者に代わって、訴訟を起こす権限 をもつようになった。米国三菱の場合も、このプロセスをたどった。

一九九二年から九五年にかけて、米国三菱の女性従業員は、相次いでセクシュアル・ハラスメントの被害を受けたとしてEEOC に訴えを起こした。一九九四年五月、事態を重視したEEOCは、調査を開始。一方、同年一二月には、女性従業員二六人が連邦地 裁にセクシュアル・ハラスメントを受けたとして、民事訴訟を起こした。調査開始から二年後の一九九六年四月、EEOCは、米国 三菱のセクシュアル・ハラスメントが極めて深刻と判断、独自にクラス・アクション(集団訴訟)を起こすに至った。

クラス・アクションというのは、原告だけでなく原告と同様の被害を受けた人々全員を救済するための訴訟形態だ。アメリカで は、雇用差別や消費者保護の問題でしばしば用いられている。これにより、企業は大きな慰謝料を払う可能性があり、問題の発生を 抑止する効果が期待できるといえよう。クラス・アクションを起こされた在米日本企業の代表的な例に、ニューヨークの住友商事が ある。訴えたのは一三人の女性だったが、原告と同様に女性であるがゆえる営業や管理職に登用されなかった人々一二〇〇人が対象 となった。住友は、一九八六年に三〇〇万ドル近い補償金などを支払い、和解した。


市民団体の動きと問題の拡大

このように、米国三菱のセクシュアル・ハラスメントの問題は当初、行政や司法のレベルで争われていた。しかし、EEOCの集 団訴訟以降、女性団体をはじめとした市民団体と会社の対立の様相を深くした。問題を司法の場から市民団体との争いに変えたの は、他ならぬ米国三菱自身だ。集団訴訟に対し、地元の市長も含めて三〇〇〇人近い人々をバスでEEOCのシカゴ支部まで送り、 抗議デモを実施させた。この米国三菱の「力の政策」に全米女性機構(NOW)や公民権運動の指導者、ジェシー・ジャクソン師ら が強く反発、三菱ディーラー前でのピケやボイコットが実施されるようになったのである。

NOWやジャクソン師がこの問題に介入した背景には、次のような事情があった。一九九〇年代に入り、アファーマティブ・アク ション(積極的差別是正措置)廃止提案にみられるような、アメリカの人権擁護政策に保守派の攻撃が強まっていた。事実、一九九 六年一一月には、カリフォルニア州でアファーマティブ・アクションを廃止するという住民提案が賛成多数で可決されるという事態 が生まれている。

また、ホータースというレストランに調査を行っていたEEOCが、顧客を含むレストラン関係者の抗議を受け、調査を打ち切る という経過もあった。なお、ホータースは、レストランというものの、膚の顕な制服姿のウエイトレスが売り物で、男性をウエイタ ーとして採用しないという問題が指摘されていた。こうした状況のなかで、米国三菱のようなやり方を許してはならないという認識 が市民団体のなかに存在しているのである。

一九九六年六月、三菱自工の株主総会にあわせて、全米最大の女性団体、全米女性機構(NOW)のローズマリー・デンプシー副 会長が訪日。日本の女性団体からの支援者とともに、株主総会の開場前で抗議行動を実施、日米のメディアの大きな関心を集めた。 デンプシー副会長は、労働大臣とも会談、米国三菱の問題だけでなく、日本における女性差別 の現状を批判、均等法の改正強化も訴 えた。

さらに、七月には公民権運動の指導者として知られるジャクソン師が訪日。三菱自工だけでなく、トヨタ、ホンダなどの自動車会 社やソニーといった日本企業のトップと会談、在米日本企業がマイノリティの雇用やマイノリティ企業との事業契約を増やすよう要 求した。なお、人種民族の少数者(マイノリティ)や女性が経営する企業をマイノリティ・ビジネスと呼んでいる。また、一一月に は、EEOCのポール・イガサキ副議長が訪日、経営者団体で講演したり、女性団体と交流の機会をもった。

こうして、米国三菱のセクシュアル・ハラスメントの問題は、一企業に対する訴訟から日本企業のあり方、日本社会の男女差別 も 問うものへと発展していった。その結果、日本企業の多くがセクシュアル・ハラスメント問題に取り組むようになり、不十分ながら 均等法にハラスメント禁止が盛り込まれることが決まるなど一定の成果 もみられた。また、米国三菱は、セクシュアル・ハラスメン ト対策だけでなく、包括的な職場環境の改善策とマイノリティ企業との事業の増加をめざすプログラムを策定するための委員会を設 置するに至った。


改善案の提示と市民団体の反応

一九九七年一月、米国三菱は、マイノリティ・ビジネスとの事業関係の改善に向けたプログラムを発表した。現在、三菱車のディ ーラーの一〇%は、マイノリティ・ビジネスが所有している。この数字は、アメリカの自動車業界では第二位 だ。

しかし、黒人が経営する企業のディーラーが三件しかないことが問題とされ、改善策の議論の中心になった。改善案は、マイノリ ティや女性が所有するディーラーを今後五年間で一五%に増加させること、そのためにマイノリティや女性のディーラーへのトレー ニング・プログラムを実施することなどを骨子としたものだ。これらの措置による三菱の投資額は二億ドルにのぼり、一八〇〇人分 の新規雇用が生まれると推定されている。

さらに、三菱側は、セクシュアル・ハラスメント裁判に関しても迅速な対応をとる意志をNOWやジャクション師に表明。これを 受けて、ジャクション師は、三菱側が「敵対的な職場環境」をなくそうとしているとして、一九九六年五月から続けてきた三菱車の ボイコットを中止した。

一九九七年二月、米国三菱は、職場環境の改善案を発表した。元労働長官のリン・マーチン氏を座長に、半年以上かけて作成した ものだ。改善案は、社是の作成、セクシュアル・ハラスメントを許容しないための「不寛容委員会」の設置、ハラスメント防止セミ ナーの開催、第三者による改善案の実施状況を確認する担当チームを設けることなど三四項目に及ぶ。また、それぞれの内容が実施 されなければならない理由、実施形態、責任体系、実施時期、モニター方法などが盛り込まれている。

NOWは、米国三菱の職場環境の改善案を評価。今後どのように実施されていくかを見守るとして、ピケなどの抗議行動を中止す ることを明らかにした。こうして、事態改善に向け大きく前進したという空気が流れた。しかし、訴訟が一気に和解に突き進んだわ けではない。米国三菱の社内の意志統一がなされておらず、対内的にも対外的にも混乱を引き起こしていったのである。

社内的な問題でいえば、一九九七年年四月、米国三菱の大井上会長が顧問に退き、三菱自工の山下常務が新会長兼経営最高責任者 に就任することが突然明らかにされた。ワシントン・ポスト紙は、三菱の関係者の情報として、米国三菱では複数の幹部がマーチン 氏の職場改善計画の実施に強く抵抗していると報道。問題の早期解決をめざす本社の意向を現場に反映させるため、山下常務の派遣 が決まったという。

当初、「現地の米国法人の問題」としてきた米国三菱の親会社、三菱自工は、人事権を発動してまで事態の収拾をめざしたといえ よう。だが、こうした社内の混乱は、訴訟を起こした従業員への対応にも影響していったとみられる。EEOCは、三菱側が提訴し た従業員を脅迫していると批判。一九九七年三月には、裁判に備えた事情聴取にあたり、従業員に法的な権利を説明したい旨を裁判 所に求める書簡を送付した。NOWも、こうした事態を憂慮、五月に入り、一度は中止した米国三菱への抗議行動を再会することを 明らかにした。

一方、EEOCは一九九七年四月、米国三菱のセクシュアル・ハラスメントの被害者を二八九人と認定、これらの人々への補償を 求める考えを明らかにした。この数字は三菱側が女性従業員に脅迫を続けているため最低限のもので、さらに増加することは確実、 とEEOCは述べている。民事訴訟の最低でも一〇倍にのぼる被害者が存在するという認識がだされたことは、三菱側が負担すべき 補償もそれだけ大きくなることを示唆している。補償額が大きくなればなるほど、和解が困難になることは当然だろう。


和解へ向けた動きと和解内容

NOWが抗議行動を再会することを明らかにした前日の一九九七年五月二〇日、米国三菱と二九人の女性の民事訴訟を担当してい る弁護士は、調停作業に入ることを表明した。調停は、アメリカの裁判でしばしば用いられている。長期間にわたる事実審理などに 時間を費やすことをさけ、専門の第三者を通じて、迅速な結果を導きだすことなどをねらったものだ。調停を始めるにあたり、双方 の弁護士は、公正かつ速やかな和解に至ることを期待するとする声明を発表した。

調停作業に入ることが明らかにされてからわずか1週間後には、ひとりの女性従業員の訴訟で和解が成立した。マックリーン郡在 住の女性で、ことばや肉体的なハラスメントを受けたとして、慰謝料など三〇万ドルを要求していた。和解内容は明らかにされなか ったが、米国三菱のゲイル・オブライアン広報部長は、和解が訴訟の解決に向けて前進していることを示している、と述べた。

調停作業に入ることが明らかにされてからわずか1週間後には、ひとりの女性従業員の訴訟で和解が成立した。マックリーン郡在 住の女性で、ことばや肉体的なハラスメントを受けたとして、慰謝料など三〇万ドルを要求していた。和解内容は明らかにされなか ったが、米国三菱のゲイル・オブライアン広報部長は、和解が訴訟の解決に向けて前進していることを示している、と述べた。

和解の話し合いが行われる前日、NOWは、女性たちが起こした民事訴訟とEEOCのクラス・アクションを速やかに解決するよ うに求める声明を発表した。米国三菱への抗議活動を再開するにあたり、NOWは、女性差別 が顕著な企業を批判する目的に最近設 けた「恥の商人」に同社をリストアップ。迅速な和解を求めるにあたって、NOWは、原告の女性を脅迫しているとして三菱を批判 したうえで、公正な和解を行わなければ、「恥の商人」のリストにいつまでも載ることになると警告した。

一九九七年八月二八日、連邦地裁ペオリア支部で、ミチ判事が同席し、原告被告双方の弁護士と調停者による話し合いが八時間に わたって行われた。その結果、合意が成立、翌日、米国三菱と原告側の弁護士は、次の四項目からなる短い声明を共同で発表した。

1)二九人の女性が民事訴訟を起こしているが、今回和解したのは二七人のみ。

2)和解の成立は、被告側の違法行為を認めたものではないこと。

3)和解内容は、原告、原告側弁護士、被告が秘密扱いにすること。

4)三菱が企業寄付活動の一環として一〇万ドルを地域の女性問題に対して提供することが和解の一環として確認されたが、これのみ は秘密扱いにされないこと。

このように、公式の発表では、どのような内容の和解が成立したのか不明だ。しかし、AP通 信や地元のシカゴ・サン・タイムズ 紙によると、和解金は、総額九五〇万ドルに達した。原告ひとりあたりの和解金は、セクシュアル・ハラスメントの被害の程度など によって異なり、最高五〇万ドルと伝えられている。また、女性問題に関する一〇万ドルの寄付は、六ヵ月以内に行われることにな ったが、寄付先などを明らかにするかどうかは、三菱側の裁量に任されることになった。


むすびに代えて

「率直にいって、和解が成立するとは思いませんでした。……。二七人の原告の女性の勝利だと思いますし、セクシュアル・ハラ スメントが人々や事業にとって悪いものだという原則が確認されたことを意味しているでしょう。今回の和解がEEOCの訴訟の解 決にもつながることを期待しています」

地元のNOWの支部長であるルエレン・ロレンティさんは、和解に対する感想をこう語った。

EEOCの提訴によりこの問題が広く知れわたって以来、NOWは、米国三菱批判の急先鋒にたってきた。和解の話し合い直前に 声明を発表、三菱に圧力をかけることも忘れなかった。しかし、そのNOWにとっても、和解は予想外のことだったようだ。では、 なぜ、多額の和解金を支払ってまで、米国三菱は和解に応じたのだろうか。理由はいくつか考えられる。だが、ジャクソン師の訴え たボイコットが直接的な効果を発揮したのではない。一九九六年にイリノイ工場で生産された自動車は、前年比二三%もの販売増を 示しているからだ。では、理由はなにか。

端的にいえば、問題の深刻さが明らかになり、裁判を続けたとしても勝訴の可能性が極めて少ないことを三菱側が理解したのだろ う。たしかに、長期間の裁判になれば、弁護士費用も膨れあがる。これが企業に和解を選ばせる背景にあることは無視できない。と はいえ、今回の和解金に比べれば、小さな額だ。企業イメージの低下も懸念されるところだろう。しかし、販売増という事実からみ れば、経営的には無視できないことはない。結局、争っても勝てない、負ければ膨大な補償を強いられる、という認識を米国三菱が もったと考えるのが最も自然である。

争っても勝てない、負ければ膨大な補償を強いられるのは、セクシュアル・ハラスメントに対する厳しい法的な規制と罰則の制度 が存在しているからに他ならない。セクシュアル・ハラスメントが揶揄の対象となることは徐々に減りつつある。しかし、ハラスメ ントを禁止する法律や違反した場合の罰則の整備は極めて不十分、というのが日本の現実だ。国内で明確な対応なしに、海外での事 態に的確に対応することはできない。とすれば、日本の社会と企業が米国三菱のセクシュアル・ハラスメント問題から学ぶことは、 いかにして海外の危機管理を行うかではなく、国内の問題に対処していくかにあるのではないだろうか。

 

参考資料

日本太平洋資料ネットワーク(JPRN)では、セクシュアル・ハラスメントと米国三菱の問題に関連して、以下の出版物を発行しています。

「セクシュアル・ハラスメント:アメリカの法律と現状」、柏木宏著、森田ゆり序文、1990年、JPRN発行

「日米のセクシュアル・ハラスメント:現状対策とレポート」、JPRN編、1992年、新水社発行

「アメリカの雇用平等法と在米日本企業の対応」、柏木宏著、1992年、JPRN発行

「アメリカの新聞にみる人権とマイノリティ問題:米国三菱自動車セクシュアル・ハラスメント特集号」、JPRN編、1996年 5月号

「アメリカの新聞にみる人権とマイノリティ問題:特集:米国三菱自動車セクハラ訴訟で和解成立」、JPRN編、1997年 9月号

「アメリカのグラスルーツの動きを伝える情報誌:GAIN−−セクシュアル・ハラスメント特集号」、JPRN編、1996年 6月号

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